出生前診断その他もろもろの
【訂正】出生前診断や羊水検査は本来「胎児の染色体異常などを出産前に調べるための技術」であり、けして「障害のある子を産まないための技術」ではありません。
ただ胎児に異常が確認された場合に9割近くの妊婦が中絶を選ぶという現状から、実際は「命の選別」として利用されている面も否定できません。
そのことから「障害のある子を産まないための技術」という表現をしてしまいましたが、これは誤った表現であり、私の言葉足らずでした。
誤った情報を発信してしまい申し訳ありません。(先ほど自分で読み返してみて気付きました)
倫理的な云々から「反対!」と胸張って言いたいところだけど、
現実問題、子に障害があると親や兄弟(特に母親)の生活や人生設計に大きな影響が出る場合が多い。
それでも
「子に障害があっても幸せだよ」
「この子が産まれてきてくれて本当に良かった」
と言う親御さんだっている。
そういう家族を見ると嬉しくなるし、応援したくなる。
ただ、「子に障害があるけど幸せだよ」と言えない家族もある。
子供の障害から生ずる様々な問題を家族で抱えきれずに疲弊して、家庭崩壊寸前だったり、すでに崩壊してたり。
我が家もけっこうギリギリのことが多い。それでも、うちはまだまだマシなほうだと思う。
(どっちみちうちの長女の障害は出生前にわかるものではなかったけれど)
もっと深刻な状態で踏ん張っている親御さんがいる。家族がいる。
メディアで「子に障害があっても大丈夫!障害児の育児だってこんなに楽しい!」とポジティブな情報をみせられる度に
「うんうんそうだよね、障害児育児もそう悪くないよね^_^」という気持ちと
「おいおいちょっと待て(#・∀・)!!そんな気楽なもんじゃねーぞ(#・∀・)!!」という気持ちが同時にわいてきて困る。
ただ、障害がある子、障害がある人には何の罪もない。それだけは揺るぎない事実だ。
「障害持って産まれてくるくらいなら産まれてこないほうが本人にとっても幸せだよね!?」と当の「本人」の意見も聞かずに周りが勝手に決めてしまうのも違う気がする。
それは本人が実際に産まれて生きてから決めることであって、周りが決めるのはただのお節介だと思う。
当然「障害があっても産まれてきて良かった」と思う人もいれば「こんなに辛いなら産まれてきたくなかった」と思う人もいるだろう。
本人にしか決められないことを、本人以外が先回りして決めることじゃない。
ただ、育てる親の視点になった時に「できれば障害の無い子を産みたい」という気持ちもわかってしまう。
そして「障害」といっても個人差が大きく、同じ障害名でも比較的育てやすいタイプから、めちゃくちゃ苦労するタイプまで十人十色だ。
「障害がある子も可愛いよ」と言われても、「ほんとそうだよね^_^」と「おいおい綺麗ごと言ってんじゃねーぞ(#・∀・)」という気持ちが半々だ。
実際にお前育てて見ろよ…と。
いや、実際に育てて心の底から「この子が産まれてきてくれて本当に良かった!」と思ってらっしゃる親御さんがいて、心から「産まれてきて良かった!」と思ってる障害者だっているだろうし、むしろそういう人たちが大好きだし応援したいし。
でも現実はその反対のケースだってたくさんあるわけで。
じゃあどうすればいいのか。本気で人生のリスクを回避するなら子供を産まないという選択がいちばんだとすら思える(一部の過激な反出世主義の人たちには全く賛同しかねるけれど)
どんな育てにくい子が産まれても、社会が全力でサポートしてくれるならいいんだろうけど。
放課後デイ、短期入所でのレスパイトやらで子と離れる時間を作れても、施設が休みの時は家庭で頑張ってねだし。コロナ禍でそれがよーくわかったし(そして死にかけたし)
色々考えても答えは出ないし、結局何が言いたいのかわからなくなってしまった。
綺麗ごとだけでは語れないし障害児の親もスーパーマンじゃなくて普通の人間だし障害児も健常児もそれぞれ可愛いしひとりひとり違うしそれでも正直「○ねよクソガキ」と思う日だってあるし蹴りたくなる時もあるしでもうれしい楽しい大好きの日もあるし、そして多くの場合、障害児育児は健常児育児の数十倍は大変だ(我が家調べによる)。
読んだぞ、お前の考えはわかった、いいから今日はもう寝ろボタンです。









夜中に覚醒してすみません。
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