沖縄の、辺野古沿岸埋め立てに関して今起こっていること、ずっと続いてきたことに対して、
どうしても、他人事とは思えない。
私にとって沖縄は一度も行ったことのない、知り合いもいない、遠いところ。だから他人事と言ってしまえば他人事。
でも「無視される痛み」みたいなものは、私にとっては他人事ではない。
嫌だ、やめて欲しい、と必死で訴えても真剣に聞いてもらえない。無視される。
SOSが誰にも届かない、その怖さ。悲しさ。
意見を聞いてもらえない。勇気を振り絞った必死の訴えも、笑って流される。
痛みを無視される。軽く見積もられ、なかったことにされる。
それは存在自体を無視されていることに等しい。
私の存在は軽い。私の声は誰にも届かない。
私が親からずっと受け取ってきたメッセージ。
障害者の親、障害当事者としての、マイノリティの立場からも他人事とは思えない。
「全体から見て数が少ない」ただそれだけで、「数の多い人たち」から見えないところに押し込まれて生きているような、息苦しさ。
実際は存在するのに、見えないから、遠いから、知らないから、
その痛みにも無関心でいられる。知らないまま生きていける。
無邪気な多数派の傲慢さ。いやと言うほど見てきた。
(そういう私も、別の何かの面では「多数派」で、誰かの気持ちや存在を踏みつけて生きているのだろう。全く気付かないうちに)
小さな島に何かを押し付けて、大きな島で無関心に生きていける特権。
大きなものが、小さなものの尊厳を、力ずくで奪い取ろうとしているのに、「自分には関係ないから」、と見向きもせずに生きていける特権。
見殺しにする私と、見殺しにされる痛みを知っている私。
今は無関心でいられることも、やがて自分のところにやってくる。
その時に初めて「無視される痛み」に気付いても遅い。
無邪気な多数派に踏みつけられて生きるマイノリティの置かれた状況と、沖縄の基地関係の色んなことが、かぶって見える。
だから他人事と思えない。すごく心がざわざわする。(辺野古の埋め立て継続が良いか悪いかということではなく、当たり前のように民意が無視され続けていることに対して)









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