友人知人、親戚、ご近所同士の「支え合い」は美しいといわれる。
共助ってやつか。
でも
ギブ・アンド・テイクとか、支え合いとか、そういう概念は残酷だ。
与えられたら自分も与え返すとか、
助けてもらったら自分も相手を助けるとか、
そうすることが当たり前、という前置きの上で
「だから遠慮なく人を頼っていいんだよ」って言われても、
頼れるわけないじゃないか。
障害とか家庭の事情とか本当にギリギリで
ずっと心も体も時間も慢性的に枯渇している状態で、
助けてもらっても助けられっぱなしになっちゃうけどそれでもいい?
「この前私があなたを助けてあげたから、今度はあなたが私を助けてくれるよね^_^」
って期待されても
私なんにもできないよ?
本当に本当に本当に自分ちのことだけで常にいっぱいいっぱいなんだ。常に、ずっと。
ギブ・アンド・テイクできない。
助けられるだけ、貰うだけ、テイクするだけの「ずるい人」「非常識な人」になっちゃう。
「ありがとうございます」って頭下げることならいくらでもできるけど
それだけで許してくれる?
影で「あの人はいつもしてもらってばっかり」って文句言わない?
今まで色んなもん見てきた。
だから頼ることなんてできない。
もし、いつか私が、
スーパーマンみたいに、有り余る程の気力と体力と財力と、無限の時間を手に入れたら、
一切のお返しも感謝の言葉も受け取らない、与えるだけ、助けるだけの人になりたい。
でも、今の私がそんなスーパーマンに出会えても、
きっと信じられないだろう。
ギブ・アンド・テイクが暗黙のルールの世界で、
ずーっと馴染めなくて、息苦しかった。
必死で適応しようと努力してきたが、もう疲れた。
お金払えば助けてくれるベビーシッター、ハウスクリーニング、その他もろもろのビジネスならわかりやすくて後腐れもないから、すごくいい。まだつかったことないけど。
空気の読み合いも必要ない。何時間で何円ですって決まってるから。
でも、お金が無いと使えないよね。それに営業時間とか、色々制約もある。
やはり公助は大切。最後に頼れるべきは公助。
自助なんて、言われなくてもとっくにできる限りやってるでしょう、たいていの人は。
それでもどうにもならないから困ってるんだ。
せいぜい頑張れよボタンです。
押して頂けると励みになります。
ブログ村読者登録(((((((((((っ・ω・)っ ブーン
ブログリーダー読者登録( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン
自分語りブログはこちらから