おとといの夜、ある報道番組を見ました。

その番組に出ていた女性は、7年前、大切な家族を一度に三人も亡くしてしまいました。

何年もの間「悲しい」という感情に蓋をするように暮らしていたそうです。

思い切り泣くことすら出来なかったと。

何年も経ってやっと、自分の心に向き合う決心ができ、カウンセリングを受け始めました。

少しずつ、当時の自分の感情を振り返りながら、その女性が

「本当に悲しい時は、一緒に泣いてくれる人がいるだけで救われる気がします」

と言っていました。



この言葉が強く心に残ったのは、私も同じことを感じたことがあるからです。

辛くて悲しくて心が壊れてしまいそうな時、励ましやアドバイスなんて何の役にも立たず、

ただただ、一緒に泣いてくれる人が欲しかった。

悲しいよね。辛いよね。泣きたいよね。泣いてもいいんだよ。

そう言って、一緒に泣いてくれる人がいたら、どれだけまた立ち上がり、生き続ける力になっただろうかと。



あえて、どうでもいいような軽い話で例えさせて下さい。


チャッピーは1歳9ヶ月過ぎまで歩けなかったので、私はそのことでとても悩んでいました。

そんな時、他のママさん達から言われていちばん嫌だったのが、

「歩いたら歩いたで目離せなくて大変だからゆっくりのほうがいいよ~」とか

「個人差があるから気にしないほうがいいよ~」とか

みんなニコニコ笑顔で、明るく言い放ちます。

おそらく悪気は無く、励ましてあげようという優しさから出た言葉だったのだと今なら思います。私も逆の立場だったら同じことを言ったかも知れません。

子供の成長の遅さを打ち明けられても、ちょっと反応に困ってしまう気持ちも何となくわかります。



でもあの頃、チャッピーの成長の遅れを打ち明けた時の反応でいちばん嬉しかったのは、

「…えっ?まだ歩けないんですか?それは心配ですね…病院とかに相談しましたか?」

という言葉でした。

相手は、私が当時通っていた精神科の医師でした。
(現在通っているクリニックとは別のところです)

「子供がまだ歩けない。成長が遅くて心配だ」と話す私の表情が暗く沈んでいるのをしっかりキャッチして下さり、

一緒に「心配」してくれたのです。とても心配そうな顔で。

そういうお仕事の人ですし、演技だったのかも知れません。それでもその一瞬、確かに私には

「この人、本気でチャッピーのことを心配してくれている」

と感じました。

あの時の嬉しさは忘れません。

何故なら、チャッピーの成長の遅れを一緒に心配してくれた人は、その人が初めてだったからです。
(夫や祖父母も内心は心配していたのかもしれませんが「大丈夫だよ!」「気にしない気にしない!」と明るく振る舞う人達でした)

そんな中、

「それは確かに心配だよね」

「あなたは神経質な母親なんかじゃないよ」

「早く歩けるようになるといいですね」

と、初めて私の母親としての素直な気持ちを認めてもらえた気がしました。

涙が出るほど安心したのを覚えています。



冒頭の報道番組(東日本大震災に関する番組です)に出てきた女性には小学生の娘さんがいました。一緒に辛い体験をしています。

その女の子も、しばらくは普通に生活できていました。問題なく生活を送っているように表面上は見えていました。

しかしだんだん、学校に行くことが出来なくなってしまいました。原因は、学校内のいじめや勉強のことではないようでした。

カウンセリングに通い、大切な家族を亡くした経験、怖い経験をしたことがその子の心に大きな影響を残していたことがわかりました。

その子は「あの頃(災害からしばらくの間)は無感情だった」と言っていました。「悲しい」と思ったり泣いたりしてはいけないような気がしていたと。

長い間、自分の中に閉じ込めて押し殺していた様々なものが、何年も経ってからじわじわと表に出てきて心や身体の不調となって表れてくることはよくあるそうです。

自分自身が気付きもしなかった、あるいは気付いていても無いことにしていたかった大きな傷が、

生活や環境がひとまず落ち着いてホッとした辺りに、ひょっこり顔を出してくるのだそうです。

とにかく毎日をなんとか生きること、生活を建て直すことに必死な間は、心の傷に向き合う余裕なんてなく、自分でも気付かないうちに奥のほう、奥のほうに追いやって、無かったことにしてしまう。

そうしないと、生きていけないからなのかも知れません。



改めて、

「今、自分の目の前で明るく笑っている誰かも、人には言えない何かを抱えて生きているのかもしれないな」

ということを忘れちゃいけないなと感じました。



私は40年近く生きているいい大人のくせに、ついつい自分のことでいっぱいいっぱいになると

「あの人は幸せそうでいいなぁ。何の悩みもなさそうで羨ましいなぁ」

とか、

「きっと苦労も知らず幸せな人生を生きてきたんだろうなぁ」

とか、

「なんで私だけこんなしんどい思いしなくちゃいけないの!」

とか、

そんな幼稚な考えに心を支配されてしまうことが良くあります。恥ずかしながら、しょっちゅうあります。

少し考えれば、それがどんなに愚かなことかわかるのだけれど、ついつい私は忘れてしまう。

パッと見ただけの他人の人生なんて何も知らないのに。

ちょっと話したくらい、ちょっと親しくなったくらいじゃ何もわからないのに。

ましてや、親友と呼べるくらい親しい仲になっても話せないようなことだってある。話したくないことがある。私もそうだった。


その人の生い立ちや生活環境や経済状況や持病や、その他もろもろの様々なこと、何も知らずに全てわかった気になって、勝手に羨んだり妬んだり、時には深く傷付けてしまう。

自分の人生の全てを記した履歴書を背中に貼って生きているわけじゃないから、みんな謎だらけ、秘密だらけだ。

目の前で笑顔でレジを打っている女性は、もしかしたら1ヶ月前に死産したばかりかも知れない。

隣のアパートに越してきた幸せそうな家族は、実は突然の事故や火災で家や家族の誰かを失ったばかりかも知れない。

いつも郵便物を届けてくれる愛想のいいお兄さんは、実は児童養護施設で育って親の顔を知らないのかも知れない。

そんなこといちいち、説明しないだけのこと。



東日本大震災から7年経った今でもまだ、7万3千人が避難生活を送っています。日本全国各地で、避難者が生活しています。

本当に辛い経験をした人たちの中には、今でも、

「3月が近づくと(心身の)調子が悪くなる」

「カレンダーの3月11日を塗りつぶしている」

「3月なんて来なければいい。眠っている間にワープして、4月になっていればいいのに」

という人がいるそうです。

「あの日を忘れない!」と凛々しく宣言する人がいる一方で、

「忘れたくても忘れられない」と涙を流している人がまだまだたくさんいるのだと思います。

おそらくその人たちも、人前では明るく振る舞ったり表面上は普通に生活しているように見えているのかも知れません。

中には、重いうつ病等を患ってしまい家から出られない人もたくさんいるかも知れません。

テレビで被災地の活気を取り戻した商店街の映像に出てくる明るく元気なおばちゃんも、家で一人になったら涙が止まらない日があるかも知れない。毎日隠れて泣いているかも知れない。

そういうことを忘れちゃいけないと思いました。私なんかが書くまででもない当たり前のことなのですが、自戒をこめて、自分のために書いています。


東日本大震災だけに限らず、今までにこの国で起こった大きな災害や、事故や、事件の被害者が、日本のあちこちでまだ生きていて、表面上は何食わぬ顔で生活していて、

ちょっと知り合ったくらいじゃ何も知らないで、誰にでも気軽に話せるような話じゃなくて、

でもその人はずっとずっと大きな苦しみを隠し持ったまま必死で表面上は明るい顔をして暮らしていたりするのかも知れないな、と。

3月20日は地下鉄サリン事件がありました。

他人のそんなことまでいちいち想像してたら生活できないし自分も自分のことでいっぱいいっぱいだ。私もそうだ。普段、他人のことなんてそんなに気にする余裕もない。

でも、時々でいいから想像したり、思いやったりする優しさを持ちたいと思いました。


具体的に出来る支援や応援も当然大切だけれど、その余力が自分にない時は、せめて想像力だけでも。



長々と、思い付くままに書いてしまい申し訳ありませんでした。これで終わります。



最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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