ふと気付いたら、私は最近娘に対して「何でこんな簡単なことも出来ないの!?」と思うことが、ほとんど無くなりました。
以前は毎日のように思っていましたし、思うだけならまだしも、声に出して言ってしまうこともありました。娘に面と向かって。
そんなこと、言っていいわけがない。
娘だってふざけているわけじゃない。
私を困らせようとしているわけでもない。
一生懸命やっているのに出来ないことがあるのだ。
それを理解しているつもりでも、もう二度とそんなことは言わないようにしようと心に誓っても、何度も同じことを繰り返してしまう。
私はひどい母親だ、と毎晩自己嫌悪に陥りながらも、どうしても心から溢れ出して押さえきれなかった言葉。
「どうしてこんなことも出来ないの!?簡単なことでしょう?」
…と。
その言葉の裏には、娘に対する「期待の押し付け」があったんですよね。
「本当は、この子はもっと出来る子なんだ!!いや、出来る子であって欲しい!!」という。
最初に発達障害の診断がついて、やっと現実を受け入れられたと思ったら今度は知的障害の診断までプラスされて。
嘘だ!!嘘だ!!
知能検査の結果が信用出来ない!!
本当は、この子はもっと賢いはずだ!!
これからグングン伸びて、他の子に追い付くんだから、大丈夫!!
…そんなふうに自分に言い聞かせて崩れそうな心をギリギリ保ちながら、親の自分勝手な期待を娘に押し付けていたのかも知れません。
入学後しばらくは、娘が通常学級の学習の進み具合に遅れないようにと、私は必死でした。
この子はついていけるはず!!
本当は賢い子なんだ!!
やれば出来る子なんだ!!
ひらがなが書けないのは学習障害か何かの部分的な困難であって、理解力そのものはそんなに悪くないはずだ!!
…と。
そう思い込んでいましたし、わずかな希望にすがりつくように、娘の宿題や家庭学習に熱を入れて取り組んでいました。
そんな期待の裏返しが「なんでこんな簡単なことも出来ないの!?」という言葉だったのです。
娘からしてみれば、そんな過剰な期待はさぞかし迷惑だったことでしょう。
娘には娘のペースがあり、ゆっくりでもゆっくりなりにちゃんと成長していく。
目の前にいる娘の現状をしっかり把握して、受け止めて、娘の歩幅に合わせて気長に付き合っていくしかないのだ。
…そのことに気付くまで、だいぶ時間がかかりました。
娘を傷付ける言葉もたくさん言ってしまっただろうと思います。
すぐには無理だったけれど、少しずつ、少しずつ、娘の抱える困難に目を背けず向き合えるようになりました。
他の子と比べるとつい焦ってしまうけれど、娘は自分のペースで、ゆっくりでも着実に前に進んでいるからそれで良いのだ、と思えるようになりました。
成長がゆっくりでも、苦手なことが多くても、別に構わない。そのままの娘で良いのだ、と思えるようになりました。
そして気付いたら私の中から
「どうしてこの子はこんな簡単なことも出来ないの?」
という言葉が消えていました。
「あぁ、障害があるから出来ないのだな。頑張っても、今はまだ難しいのだな。」
と思えるようになりました。
そして同時に
「今はまだ難しいけれど、3年後には出来ているかもしれないな」
と思えるようになりました。
そう思えるようになってからは、私の胸の奥に詰まっていた重苦しいものがずいぶんと軽くなりました。
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最後まで読んで頂きありがとうございました。